2018.10.25
皆さん、ブラックマンデーをご存知ですか?
リーマンショックは知っていても、ブラックマンデーはご存じない方もいらっしゃる事と思います。
1987年10月19日の月曜日、ニューヨーク・ダウ30株価指数は前週末比508ドルの下落となりました。この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年の木曜日(ブラック・サーズデーの下落率12.8%))を上回るものであり、世界中がパニックに陥りました。
翌日東京市場に連鎖、日経225は3,836円安の21,910円に暴落しました。この日の下落率14.90%は、その後のリーマンショックの時でさえ経験しなかったもので、1日の下落率としては現在でも過去最大です。
当時のアメリカは、1980年初頭のスタグフレーション(不景気でかつ高金利;長期債利回りは約15%)から回復期にありましたが、ドル安防衛のために政策金利を引き上げた事で、再び長期債利回りが急騰、株式が売り込まれたのです。
当時の私は資産運用会社に入社したばかりで右も左もわかりませんでしたが、会社の幹部の方が難しい顔をしていらっしゃった事だけは良く覚えています。
あれから31年経ちました。当時、全く想像できなかった事をいくつか列挙します。
① 低金利時代の到来
アメリカも含めて、これほどの低金利時代が来るとは思いもよりませんでした。当時はオイルショックの記憶も新しく、世界中がインフレに怯えていたのです。しかし、実際はここ30年、金利は低下する一方でした。
② 中国のGDPが世界2位に
1980年後半は「Japan as No.1」がベストセラーになるなど、日本が注目されていました。GDPはアメリカに次いで2位、円ドル為替レートを80円で換算すれば1位になった瞬間さえありました。一方、当時の中国のGDPは日本の10分の1程度、それが2000年代後半に日本を抜き去り、現在は日本の2.5倍の規模になっています。
③ ダウ30と日経225の水準
当時のダウ30株価指数の水準は、1987年8月につけた高値2700ドルからブラックマンデー前の2300ドルといったところでしょうか。ブラックマンデーで1600ドル台に下落したわけですが、その後徐々に回復、1989年末にようやく2700ドルに戻しました。
これに対し、日経225はブラックマンデー後の約22,000円から1989年末には39,000円まで急騰しました。
当時は「ダウ30の10倍から15倍が日経225の水準だ」、と記憶したものです。ところが、現在はどちらも2万台です。アメリカンスタンダードがグローバルスタンダードです、になって行ったこの30年・・・。何だかなあ、と感じてしまいます。
世界経済は必ず何らかの問題が起こり、株式市場も大きな下落を経験します。今般も米中貿易戦争の懸念により、日経255は10月初旬の24,000円台半ばから一気に3,000円下げています。
しかし、それを必ず克服していきます。市場の動向に一喜一憂せず、自分のゴール(運用目標)に向かって着実に歩んでいきましょう。
明るい未来のために、投資信託と保険を含めた総合的な資産運用に関する「アドバイスのプロ」の役割を担っていければと思います。
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